幕末・維新のまち下関で高杉晋作の足跡を辿ってみた!

晋作通りから大通りに出た後、

下関駅を左に見て国道191号を5分程歩くと

道路の右サイドに奇兵隊結成の地、

白石正一郎宅跡が↓

白石正一郎という御仁、

裏方としてしか名前が挙がってきませんが、

彼の金銭面でのサポートが無ければ

奇兵隊はまず立ち行かなかったでしょうから

白石正一郎、

維新における影の立役者といっても

過言ではないかもしれません。

道路の反対側に渡り

通り沿いを歩く事数分、

左サイドの路地裏の民家の庭先にあったが

高杉晋作が

長府藩士の襲撃から逃れる為に

丸一日身を隠していたと

言われている「ひょうたん井戸」↓

国道191号に戻り、

さらに数分程北上すると厳島神社に。

厳島神社の入り口には

高杉晋作達が俗論派政権を倒す為に

最初に襲撃した萩藩新地会跡が。↓

上記の写真にも案内板が写っていますが、

萩藩新地会跡の横の路地を

さらに200m程進んだ民家の一角にある

高杉晋作療養の地です。↓

厳島神社に戻り、

通りを渡ってすぐのところが

高杉晋作終焉の地です。↓

この地で高杉晋作は、

慶応3年(1867年)4月14日、

27歳という短くも激動の生涯を閉じました。

さぞかし無念だったことと思います。

さらに北上して、

維新に散った志士達約400柱が祀られている櫻山招魂場

晋作達が新地会襲撃後にたてこもった了円寺まで

足をのばそうかとも思ったのですが、

暑さもあり、

その他のエリアも見ておきたかったので断念。

高杉晋作の足跡を辿る爺散歩はここで終了。

バスで、

壇ノ浦の戦いに敗れ関門海峡に入水した

安徳天皇を祀っている赤間神宮に。↓

竜宮造りの水天門がなんとも鮮やかでした。

赤間神宮近くに

日清講和記念館があったので覗いてみました。↓

春帆楼で開かれた

日清講和会議の日本側の全権は

伊藤博文陸奥宗光でしたが、

もし高杉晋作が生きていたら

きっと全権に名を連ねていたのでしょうね。

義母から

珈琲がおいしいから

寄ってみたらと言われていた

旧下関英国領事館のカフェ「英国館」で

コーヒーブレイク。↓

雰囲気も有で確かにおいしいコーヒーでした。

一休みしたところで

唐戸から船で巌流島に上陸。↓

島の半分は私有地(三菱重工業)です。


巌流島自体は本当に小さな島、

見るところと言えば

武蔵と小次郎の決闘シーンの像くらいですが、

下関、関門橋、門司を一望できる風景は絶品です。↓

しばし巌流島を堪能した後、

船で門司港に戻り、

本日の爺散歩は終了。

船から望む門司港レトロです。↓

歴史の片鱗にも触れることができ、

なかなか楽しき一時でした。

門司と下関、

魚が旨いことは言うまでもなく、

自然も豊か、

歴史的な史跡も数多く本当に良きところです。

是非、足を運んでみて下さい。

下関から車で一時間の長門湯本には、

昨年、

安倍首相がプーチン大統領をもてなした

老舗旅館「大谷山荘」があります。

この旅館、かなり評判いいですね。

私は宿泊したことはないのですが、

家内は以前、

義父、義母、義妹と泊ったことがあり、

ロケーション良し、

風呂良し、

食事良し、

サービス良し

と絶賛してました。

HPを見てみると、

値段もそう高くはなく良心的。

「大谷山荘」に宿泊して、

関門海峡周辺を観光、

なかなかいいプランだと思います。

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